Profil de Yutaka Terai
L'histoire méconnue de Yutaka Terai
Laissez-moi vous présenter son profil.

寺井豊プロフィール
1933年京都生まれ。2025年で92歳。日本のジャズ界のレジェンドギタリスト。
中学2年で真空管アンプを兄の影響で自作。ラジオにかじりついてアメリカ音楽に親しむ。高校1年で、スティールギターを自作。高校2年で、京都大学そばにあった進駐軍下士官クラブで毎週水曜日にプロとして、演奏するようになる。ダンスバンドだった。
バンドは、ウクレレ入りのハワイアンバンドの形態だったが、当時のヒットソングは、ジャズからタンゴ、ラテンに至るまで、あらゆるものをスティールギターで演奏した。アメリカの将校が毎週くれる「ヒットキット」「ソングフォリオ」が、最新情報でヒットチャートをすぐジャズ風に演奏するバンドは、好評を博した。
京都のクラブ「プルニエ」で、村岡あきら(ビブラフォン)のバンドに、当時のギタリストが東京に行くため、ギターを弾くことになった。ジョージシアリングスタイル(ピアノトリオにビブラフォン、ギターがユニゾンでメロディーをとる)初めて弾いたのは「ララバイオブバードランド」。当時は、1曲は3分程度というのが鉄則だった。
1950年ごろ、高校を卒業した頃に、「メトロ」「八坂会館」「祇園会館」「ベラミ」「お染」など、ダンスホールからジャズ喫茶まで、あらゆる場所で演奏。
1950年代後半から60年代にかけて、当時人気だった、バニーケッセル、ジミーレイニー、ハーブエリスがアイドルだった。その後、ケニーバレル、ジムホールが人気になっていき、自分は、スタンゲッツ、ポールデイズモントのようなサウンドが好きだと感じ「トリスターノ派」と言われる端正なサウンドに傾倒するようになる。
1958年ごろ、当時大阪キタの最高級のナイトクラブ「クラブアロー」の専属バンド「北野タダオ&アロージャズオーケストラ(AJO)」に加入。
あらゆる音楽を演奏したが「ジャズをやりたい」寺井氏の気持ちと腕を汲んで、ステージの最後は宗清洋(トロンボーン)たちと好きな小編成のバンドでジャズを演奏させてくれた。
ジャズが、生バンドが、華やかだった時代の音を体現する寺井豊氏には、逸話が尽きない。
演奏しているとマイルスバンドのメンバーが演奏に加わり、アルフォスター(ドラム)デイブリーブマン(サックス)と親交を深めた話。アメリカンガレージなどを発表した頃の20代のパットメセニーが現れて共演。なかなか離してくれず延々とジャズスタンダードを演奏し「スタンダードも良いね」と言って帰って行った話などは、ほんの一部。
寺井豊氏のリーダーアルバムは、1998年3月27日発売「OLD&NEW」64歳にして実現した。
寺井豊氏は語る。「僕は、見よう見まね。行き当たりばったりのゴリ押しでギターを弾いてきた。音楽、特にジャズは大体こんな感じ?で始めるのが良いと思います。
思うに、僕は音楽に香りを求めて演奏してきた。素人には素人の味わいがある。音楽にジャンルは関係ない。もしも、世界中を旅するなら、世界中の良い香りを味わう旅をしてみたいものです。」
そういう寺井さんに「最近、Youtubeをご覧になった方が『寺井さんのギターはメイプルシロップの香りがする』と書き込んでいましたよ」と言うと「そうですか」と感慨深げな表情を浮かべてらっしゃいました。
いつまでも、お元気で。
メイプルシロップの深い味わいをお聞かせください。