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Profil de Yutaka Terai

L'histoire méconnue de Yutaka Terai

Laissez-moi vous présenter son profil.

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2026年2月1日記す。

 

明日、寺井豊(ギター)さんの四十九日を迎えます。

この節目にあたり、

このアドリブ味見の会 公式サイト

寺井豊さんのプロフィールページを

復活させることにしました。

あわせて、

Jazz Guitarist 寺井豊 アーカイブ Channel

https://www.youtube.com/channel/UCGzvq3F3cMpqWAO4qSUAWLA

 

では、週1回のペースで、

これまでに残された演奏映像を

公開してまいります。

​寺井豊(ギター)さんのホームページもあります。

https://jawango1960.wixsite.com/yutaka-terai

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私と寺井さんとの出会いは、2024年冬。
京都のライブハウス「むーら」にて、
ぱく よんせ(ピアノ)氏、

里村 稔(サックス)氏と

共演されると聞き、

足を運んだのが始まりでした。

住まいが近所だったご縁もあり、
後日、自宅にお招きして

セッションを行ったところ、
「やはりこの方は、

世界的なレベルの巨匠だ」
と、強く確信しました。

それ以来、お会いするたびに

演奏を記録させて

いただくようになりました。

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2025年2月9日、

初めてのセッション大会。


そして9月10日のル・クラブ・ジャズ、
翌9月11日の「むーら」での

ライブを最後に、
寺井さんはすべての演奏活動を

休止され、療養に入られました。

お会いしていた頃は、
「これから100歳を超えても

活躍されるだろう」と感じるほど

お元気で、


実質半年あまり、

トータルでも1年ほどで

お別れが来るとは、
夢にも思っていませんでした。

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しかし、その短い時間の中で、
私たちは驚くほど深く

意気投合しました。

音楽への向き合い方、
アドリブに対する考え方、
教育と表現の関係性。

共鳴する部分が多く、
寺井さんの存在は、

私にとって大きな自信となり、
同時に、

強い影響を与えてくださいました。

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今では、当時ご一緒されていた
ぱく よんせ(ピアノ)氏、

里村 稔(サックス)氏は、
アドリブ味見の会において、

最も近い仲間となっています。

そして、
アドリブ味見の会の

ポリシーそのものにも、
寺井豊さんの存在が、

確かに息づいています。

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だからこそ、
ここに、寺井豊さんのことを

語るページを残したいと思いました。

これは「過去を振り返るため」

だけのページではありません。
私たちがこれからも

音楽と向き合い続けるための、
ひとつの原点の記録です。

どうか皆さま、
このページと、

これから公開されていく

演奏の記録を、静かに

見守っていただけましたら幸いです。

皆さま、

どうぞよろしくお願いいたします。

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Profil de Yutaka Terai

L'histoire méconnue de Yutaka Terai

Laissez-moi vous présenter son profil.

寺井豊プロフィール

1933年京都生まれ。2025年で92歳。日本のジャズ界のレジェンドギタリスト。

 

中学2年で真空管アンプを兄の影響で自作。ラジオにかじりついてアメリカ音楽に親しむ。高校1年で、スティールギターを自作。高校2年で、京都大学そばにあった進駐軍下士官クラブで毎週水曜日にプロとして、演奏するようになる。ダンスバンドだった。

 

バンドは、ウクレレ入りのハワイアンバンドの形態だったが、当時のヒットソングは、ジャズからタンゴ、ラテンに至るまで、あらゆるものをスティールギターで演奏した。アメリカの将校が毎週くれる「ヒットキット」「ソングフォリオ」が、最新情報でヒットチャートをすぐジャズ風に演奏するバンドは、好評を博した。

 

京都のクラブ「プルニエ」で、村岡あきら(ビブラフォン)のバンドに、当時のギタリストが東京に行くため、ギターを弾くことになった。ジョージシアリングスタイル(ピアノトリオにビブラフォン、ギターがユニゾンでメロディーをとる)初めて弾いたのは「ララバイオブバードランド」。当時は、1曲は3分程度というのが鉄則だった。

1950年ごろ、高校を卒業した頃に、「メトロ」「八坂会館」「祇園会館」「ベラミ」「お染」など、ダンスホールからジャズ喫茶まで、あらゆる場所で演奏。

1950年代後半から60年代にかけて、当時人気だった、バニーケッセル、ジミーレイニー、ハーブエリスがアイドルだった。その後、ケニーバレル、ジムホールが人気になっていき、自分は、スタンゲッツ、ポールデイズモントのようなサウンドが好きだと感じ「トリスターノ派」と言われる端正なサウンドに傾倒するようになる。

 

1958年ごろ、当時大阪キタの最高級のナイトクラブ「クラブアロー」の専属バンド「北野タダオ&アロージャズオーケストラ(AJO)」に加入。

あらゆる音楽を演奏したが「ジャズをやりたい」寺井氏の気持ちと腕を汲んで、ステージの最後は宗清洋(トロンボーン)たちと好きな小編成のバンドでジャズを演奏させてくれた。

ジャズが、生バンドが、華やかだった時代の音を体現する寺井豊氏には、逸話が尽きない。

 

演奏しているとマイルスバンドのメンバーが演奏に加わり、アルフォスター(ドラム)デイブリーブマン(サックス)と親交を深めた話。アメリカンガレージなどを発表した頃の20代のパットメセニーが現れて共演。なかなか離してくれず延々とジャズスタンダードを演奏し「スタンダードも良いね」と言って帰って行った話などは、ほんの一部。

寺井豊氏のリーダーアルバムは、1998年3月27日発売「OLD&NEW」64歳にして実現した。

 

寺井豊氏は語る。「僕は、見よう見まね。行き当たりばったりのゴリ押しでギターを弾いてきた。音楽、特にジャズは大体こんな感じ?で始めるのが良いと思います。

 思うに、僕は音楽に香りを求めて演奏してきた。素人には素人の味わいがある。音楽にジャンルは関係ない。もしも、世界中を旅するなら、世界中の良い香りを味わう旅をしてみたいものです。」

 

そういう寺井さんに「最近、Youtubeをご覧になった方が『寺井さんのギターはメイプルシロップの香りがする』と書き込んでいましたよ」と言うと「そうですか」と感慨深げな表情を浮かべてらっしゃいました。

 

いつまでも、お元気で。

メイプルシロップの深い味わいをお聞かせください。

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