Kyoto Music
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その後、GHQの下士官クラブで、ギターを弾くことになる経緯はこうです。
それはジョージシアリングスタイルのバンドで、ピアノ、ベース、ドラムスに、ビブラホン、ギターが必要だったのだ、という。ギタリストが抜けて東京に行くことになった時、寺井少年に白羽の矢が立った。
ボスは「もちろん、アドリブがすぐに弾けるとは思わない。しかし、ビブラフォンにギターがメロディーをユニゾンしないとあの形にならない。だから「メロディーをしっかり覚えて弾いてくれたら良いんだ」とそこから始まったのだとのこと。
「最初はコードで、CとFとG。しばらくして、6thがかっこいいと気づいた。もうしばらくするとM7もかっこいいと気づいた。そうやってなんでドミソ以外の音がなってるんやろと思いながら、足していくうち、のちになって、ある日ちゃんとギターを習ったギタリストが遊びに来たけど、そう対して変わらんコードを僕は弾いてることがわかった」
と言うことです。
やっぱり大した行動力です。高校生の寺井さんに会ってみたくなりました。
中学2年の頃から、お兄さんの影響で真空管アンプを組み立てていた(!)寺井さん。
スチールギターも、自作だったそうです。「そんなもん、アメリカ製なんか高い高い。自作しかなかった」そうです。
「材木屋に行って、きれいに木を切ってもらって。スチールギターにはピックアップが必要で強力な磁石が必要だった。親父の古いラジオのスピーカーを勝手に分解して、良い音のするコイルの巻き数を何回か実験で試したあと、うまく音が出るようになった。フレット無いし、上手くできたと思う」との事。
それで、ダンスバンドとか、ジャズとか無理やりやってたというから、やっぱり凄い。それが高校1年。
洛北高校は厳しい学校だったけど、文化祭でやったら評判が良く当時は珍しい「軽音楽部」がその煽りでできたというから、やっぱりただものでありません。
昨日は、寺井さんとαステーション エフエム京都に出演しました。
着いてみると、奇遇にもDJ谷口キヨコさん(関西では有名なラジオDJ)がいて、彼女は僕のインスタをフォローしてくれているので「わ。寺井さんだ!」と、敬意を表して出迎えてくださいました。
さて、それは余談。
面白かったのは、やっぱり寺井さんの楽屋トークです。
プロとして下士官クラブで弾きながらも、ギターは、週1回しか触らせてもらえなかった寺井さん。
その前は、ハワイアンが好きでスチールギターを弾いていたそうです。
先日「アドリブ味見の会」で「思ったことの10分の1も弾けなかった」とおっしゃってた人がいましたが、それはそういうものなんです。その代わり、その時に、最も適切なものを選んでいるはずなんですね。
で、準備することは大変良いことだと思います。で、味見の会では、何も浮かばない時、瀕死の重傷を負わないようにこういうやり方で準備してはどうでしょう?という提案をさせてもらっている訳です。
寺井さんが「僕なんか、行き当たりばったりのゴリ押しや」とおっしゃるんですけど、そうやって、現場で耳が鍛えられたんだと、僕は思っているんです。
前回の「アドリブ味見の会」@さうりるで感じたのは、もしかしたら、高校2年生の天才寺井少年は、持ち前の耳の良さとセンスの良さで、GHQの下士官クラブで毎週水曜日。プロとして毎日を乗り切っていたんではないか?と思っています。
僕も1小節に4音もあれば、アドリブするには十分忙しいし、そういう美味しい勘所を「アドリブ味見の会」はみんなで体験する場所なんですが、これに近い何かを既に高校2年の寺井少年は、理解してたんじゃないかと思うんです。
出なければ「来週からギターを弾け」と言われて、すぐに弾けなかったと思うんです。しかも、バンマスの持ち物なので、本番の日しかギターを弾かせてもらえなかった、というのに。
寺井さんと話して思うのは、割と理科系の考え方ができる人なんだな、と言うことなんです。 先日、LA GRANGE (ラ グランヂ)からの帰り「川端通が早いで」とおっしゃるんです。
僕のうちから、寺井さんの家まで車で7分なんで、帰る方向は一緒だから僕と一緒の時は、送迎してるんです。
「僕、帰りは東大路から南に帰るんです」と言ったら「いっぺんどっちが早いか見てみようと思ってな、車のメーターで何キロになるか、見ててん。そしたら川端通がキロ数が一番少なかった。三角形の底辺が一番近道や」とおっしゃるんですね。
でも、メーターで測ってみるか?!
論理的に考えて、行動されるんやな、と思いました。
寺井さんは、京都ミュージックにアップロードしているビデオ「All of me3」のセッション大会の時でも、「みんなソフトにピッキングしてすごいな。僕は若い頃、電気装置が悪かったからピッキングが強すぎる。勉強になった」とはおっしゃるけど、
本番を経て感じるのは、強力にスイングする豪快なピッキングが、寺井さんの魅力でもあるんですね。
もちろん、思った以上に小さな音で、慌てて僕がソフトに弾くこともあるんですけど。
でも、話だけ聞いてても、それはむしろ正解には遠くなる気がします。
もし、寺井さんに「ソフトに演奏するのは大事やで」と言われて、それだけを後生大事にしていても、寺井さんに近づける訳でも無い気がするんです。
現場、体験は、何よりも大事だと思います。
寺井さんは「僕のギターはその場しのぎのゴリ押しや」と言うけど、京都人の謙遜を差し引いても、直接言葉をお聞きして、目の前で弾かれると、なるほど、と納得する部分があるんですね。
昔、眼鏡屋で働いていた時、レンズの焦点を目視でマジックで、チョンと点をして、フリーハンドでレンズを削る達人がいた。芦屋店の主任は、どうしたらいいかわからないような問題でも、その場にあるもので、例えば端材の針金で直したりした。
そういう人は「でも、やらなきゃしょうがなかった。間に合わなかった」と言うだけなんですけど、僕ら新人は「人間やれば、あれだけ出来るものなんや」と思った。少なくとも僕はそうだったんです。
僕は、コミュニティーと結びついていること。 それと高い目標を見せてくれる人が、日常的にいるか?って鍵なのでは?と思います。
別に指導者でなくてもかまわないかもしれないんです。
その後、GHQの下士官クラブで、ギターを弾くことになる経緯はこうです。
それはジョージシアリングスタイルのバンドで、ピアノ、ベース、ドラムスに、ビブラホン、ギターが必要だったのだ、という。ギタリストが抜けて東京に行くことになった時、寺井少年に白羽の矢が立った。
ボスは「もちろん、アドリブがすぐに弾けるとは思わない。しかし、ビブラフォンにギターがメロディーをユニゾンしないとあの形にならない。だから「メロディーをしっかり覚えて弾いてくれたら良いんだ」とそこから始まったのだとのこと。
「最初はコードで、CとFとG。しばらくして、6thがかっこいいと気づいた。もうしばらくするとM7もかっこいいと気づいた。そうやってなんでドミソ以外の音がなってるんやろと思いながら、足していくうち、のちになって、ある日ちゃんとギターを習ったギタリストが遊びに来たけど、そう対して変わらんコードを僕は弾いてることがわかった」
と言うことです。
やっぱり大した行動力です。高校生の寺井さんに会ってみたくなりました。
中学2年の頃から、お兄さんの影響で真空管アンプを組み立てていた(!)寺井さん。
スチールギターも、自作だったそうです。「そんなもん、アメリカ製なんか高い高い。自作しかなかった」そうです。
「材木屋に行って、きれいに木を切ってもらって。スチールギターにはピックアップが必要で強力な磁石が必要だった。親父の古いラジオのスピーカーを勝手に分解して、良い音のするコイルの巻き数を何回か実験で試したあと、うまく音が出るようになった。フレット無いし、上手くできたと思う」との事。
それで、ダンスバンドとか、ジャズとか無理やりやってたというから、やっぱり凄い。それが高校1年。
洛北高校は厳しい学校だったけど、文化祭でやったら評判が良く当時は珍しい「軽音楽部」がその煽りでできたというから、やっぱりただものでありません。
昨日は、寺井さんとαステーション エフエム京都に出演しました。
着いてみると、奇遇にもDJ谷口キヨコさん(関西では有名なラジオDJ)がいて、彼女は僕のインスタをフォローしてくれているので「わ。寺井さんだ!」と、敬意を表して出迎えてくださいました。
さて、それは余談。
面白かったのは、やっぱり寺井さんの楽屋トークです。
プロとして下士官クラブで弾きながらも、ギターは、週1回しか触らせてもらえなかった寺井さん。
その前は、ハワイアンが好きでスチールギターを弾いていたそうです。
先日「アドリブ味見の会」で「思ったことの10分の1も弾けなかった」とおっしゃってた人がいましたが、それはそういうものなんです。その代わり、その時に、最も適切なものを選んでいるはずなんですね。
で、準備することは大変良いことだと思います。で、味見の会では、何も浮かばない時、瀕死の重傷を負わないようにこういうやり方で準備してはどうでしょう?という提案をさせてもらっている訳です。
寺井さんが「僕なんか、行き当たりばったりのゴリ押しや」とおっしゃるんですけど、そうやって、現場で耳が鍛えられたんだと、僕は思っているんです。
前回の「アドリブ味見の会」@さうりるで感じたのは、もしかしたら、高校2年生の天才寺井少年は、持ち前の耳の良さとセンスの良さで、GHQの下士官クラブで毎週水曜日。プロとして毎日を乗り切っていたんではないか?と思っています。
僕も1小節に4音もあれば、アドリブするには十分忙しいし、そういう美味しい勘所を「アドリブ味見の会」はみんなで体験する場所なんですが、これに近い何かを既に高校2年の寺井少年は、理解してたんじゃないかと思うんです。
出なければ「来週からギターを弾け」と言われて、すぐに弾けなかったと思うんです。しかも、バンマスの持ち物なので、本番の日しかギターを弾かせてもらえなかった、というのに。
寺井さんと話して思うのは、割と理科系の考え方ができる人なんだな、と言うことなんです。 先日、LA GRANGE (ラ グランヂ)からの帰り「川端通が早いで」とおっしゃるんです。
僕のうちから、寺井さんの家まで車で7分なんで、帰る方向は一緒だから僕と一緒の時は、送迎してるんです。
「僕、帰りは東大路から南に帰るんです」と言ったら「いっぺんどっちが早いか見てみようと思ってな、車のメーターで何キロになるか、見ててん。そしたら川端通がキロ数が一番少なかった。三角形の底辺が一番近道や」とおっしゃるんですね。
でも、メーターで測ってみるか?!
論理的に考えて、行動されるんやな、と思いました。
寺井さんは、京都ミュージックにアップロードしているビデオ「All of me3」のセッション大会の時でも、「みんなソフトにピッキングしてすごいな。僕は若い頃、電気装置が悪かったからピッキングが強すぎる。勉強になった」とはおっしゃるけど、
本番を経て感じるのは、強力にスイングする豪快なピッキングが、寺井さんの魅力でもあるんですね。
もちろん、思った以上に小さな音で、慌てて僕がソフトに弾くこともあるんですけど。
でも、話だけ聞いてても、それはむしろ正解には遠くなる気がします。
もし、寺井さんに「ソフトに演奏するのは大事やで」と言われて、それだけを後生大事にしていても、寺井さんに近づける訳でも無い気がするんです。
現場、体験は、何よりも大事だと思います。
寺井さんは「僕のギターはその場しのぎのゴリ押しや」と言うけど、京都人の謙遜を差し引いても、直接言葉をお聞きして、目の前で弾かれると、なるほど、と納得する部分があるんですね。
昔、眼鏡屋で働いていた時、レンズの焦点を目視でマジックで、チョンと点をして、フリーハンドでレンズを削る達人がいた。芦屋店の主任は、どうしたらいいかわからないような問題でも、その場にあるもので、例えば端材の針金で直したりした。
そういう人は「でも、やらなきゃしょうがなかった。間に合わなかった」と言うだけなんですけど、僕ら新人は「人間やれば、あれだけ出来るものなんや」と思った。少なくとも僕はそうだったんです。
僕は、コミュニティーと結びついていること。 それと高い目標を見せてくれる人が、日常的にいるか?って鍵なのでは?と思います。
別に指導者でなくてもかまわないかもしれないんです。